神戸地方裁判所社支部 昭和46年(ワ)75号 判決 1973年9月20日
原告 国
右代表者法務大臣 田中伊三次
右指定代理人 神戸地方法務局訟務係長 森修三
<ほか二名>
被告 有限会社 田中商店
右代表者代表取締役 田中武一
右訴訟代理人弁護士 前田修
同 宮崎定邦
同 堀田貢
主文
被告は原告に対し金七万九、六四〇円ならびにこれに対する昭和四三年九月一四日以降支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。
原告のその余の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
この判決の第一項は原告において仮に執行できる。
事実
原告代理人は「被告は原告に対し金三二四万一、七三〇円およびこれに対する昭和四三年九月一四日以降支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告の負担とする」との判決ならびに仮執行の宣言を求め、その理由として、
一 訴外中西貢は、昭和四三年一月三〇日、原動機付自転車(以下本件原付自転車という)を運転し、西脇市下戸田四八六番地の四先交叉点を北進中、安全運転を怠ったため、右側道路から同交叉点に進入してきた訴外亡鷲尾竹雄(以下本件被害者という)運転の原動機付自転車と衝突し、よって同人に対し左下腿骨折の傷害を負わせた。
二 本件被害者は右事故発生後直ちに西脇市立西脇病院に入院、右傷害治療のためギブスで受傷部位を固定し、投薬治療を受け、爾後二箇月間ベットに臥床のまま治療生活を強いられたが、そのため、臓器の機能低下、食欲不振、体重の減少等全身状態の衰弱を招来し、その結果表面化するまでには至っていなかった既往の肝臓疾患を悪化せしめ、徐々に肝硬変症と食道静脈瘤を併発し、死期を早めて、同年三月三〇日死亡した。このように本件被害者の死は本件事故によって生じたものである。
三 被告は編機、ミシン等の販売を業とする会社であり、訴外中西貢は被告のセールスマンとして勤務し、自己所有の本件原付自転車を日常被告のセールスのため運転している者であり、本件事故も同訴外人が被告の外交販売のため西脇市営住宅におもむく途中発生せしめたものである。したがって、被告は自動車損害賠償保障法三条にいう運行供用者であり、同法条により、本件事故による後記損害を賠償する責任がある。
四 本件事故によって本件被害者の蒙った損害は次のとおりである。
(一) 治療費 一一万六、六一〇円
(二) 文書料 一、二三五円
(三) 看護料 六万円
(四) 休業補償費 五万三、九八五円 本件被害者は事故当時、三男憲三とともに印刷業を自営し、年収四七万七、〇〇〇円を得ていた。本件被害者の右事業に対する寄与率は七割、休業日数は受傷当日から死亡の前日までの五九日間であるから、休業補償費の額は左の数式の示すとおりとなる。
477,000円×0.7÷365×59=53,985
(五) 葬儀費 三万四、一一〇円
(六) 死亡による逸失利益 一三二万六、四一七円
(四)掲記の要素の他に、生活費は収入の二分の一、ホフマン係数五三才=七・九四五であるので、死亡による逸失利益は左の数式の示すとおりとなる。
477,000円×0.7×1/2×7,945=1,326,417円
(七) 慰藉料 四三〇万円 ただし傷害による慰藉料 三〇万円、死亡による慰藉料四〇〇万円
五 本件原付自転車には自動車損害賠償保障法に基づく責任保険の契約が締結されていなかった。そのため本件被害者の相続人である鷲尾トシオ、同修、同憲三、同美恵子らが原告(運輸省自動車局)に対し、同法七二条一項による損害のてん補を請求したため、原告は傷害による損害については前項該当箇所記載の金額合計金五三万一、八三〇円のうち金二四万三、七三〇円、死亡による損害については同じく合計金五三六万〇、五二七円のうち同法施行令の定めるてん補限度額三〇〇万円からすでに支給した国民健康保険給付額二、〇〇〇円を控除した金二九九万八、〇〇〇円をてん補額と決定し、昭和四三年九月一三日、右相続人らの代理人訴外住友海上火災保険株式会社に対し右の合計金三二四万一、七三〇円を支払った。そのため、原告は同法七六条一項により、右てん補額を限度として、右相続人らが被告に対して有する損害賠償請求権を代位取得した。
六 よって、原告は被告に対し、右損害賠償金三二四万一、七三〇円ならびにこれに対する損害をてん補した日の翌日たる昭和四三年九月一四日以降支払済みに至るまで、民事法定利率たる年五分の割合による遅延損害金の支払いを求めるため本訴に及んだ、と述べ(た。)
≪証拠関係省略≫
被告訴訟代理人は、「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする」との判決を求め、答弁として、
一 請求原因一項記載の事実中、原告主張の日、場所において訴外中西貢が本件原付自転車を運転中、過って本件被害者に左下腿骨折の傷害を負わせたことは認める。
二 同二項記載の事実中、本件被害者の死亡の事実は認めるが、原告主張の左下腿骨折と右死亡との間の因果関係は争う。本件被害者の死因は、潜伏していた肝硬変症にあって、それは本件事故とは独立、無関係である。
三 同三項記載の事実中、訴外中西貢が被告の従業員であり、本件事故は同人が自己所有の本件原付自転車を用い、被告の業務に従事中に起こしたものであることは認めるが、被告が原告主張の損害賠償責任を負うことは争う。
四 同四、五項記載の事実は不知、と述べ(た。)
≪証拠関係省略≫
理由
一 原告主張の日、その主張の場所において、訴外中西貢が本件原付自転車を運転中、過って本件被害者に左下腿骨折の傷害を負わせたことは当事者間に争いがない。また右訴外人が被告の従業員であり、本件事故は同人が自己所有の本件原付自転車を用い、被告の業務に従事中に起こしたものであることは当事者間に争いがなく、右訴外人がセールスマンとして本件原付自転車を日常被告の業務の用に供していたことは被告において明らかに争わないので、自白したものとみなす。そうすると、被告は本件原付自転車に関し、自動車損害賠償保障法三条にいう運行供用者に当たり、同法条により、右訴外人の本件事故による損害を賠償する責任がある。
二 本件被害者が原告主張の日に死亡したことは当事者間に争いがないが、それが本件事故の結果であるかどうかが、本件訴訟の争点である。≪証拠省略≫によると、本件被害者は本件事故発生当日、もよりの市立西脇病院整形外科に受診し、レントゲン検査の結果、傷害は左膝関節部の皮下骨折、ただし手術不要と診断され、同日は松葉杖をついて歩行帰宅、翌日(一月三一日)右整形外科に入院、当初は左足全体をギブスで固定してベットに臥床したが、翌二月一四日吐血して同病院内科に受診し、すでに末期的状態にある肝硬変症による静脈瘤破裂と診断され、その後同内科に転科して治療を受けたが、徐々に腹水がたまり、全身衰弱を来たし、腹水貯瘤、吐血、肝性昏睡を繰り返した後、翌三月三〇日同病院において死亡したことを認めることができる。右の経過に関し、原告は、二箇月間の臥床(実際には右認定のように吐血まで約二週間の臥床)→臓器の機能低下・食欲不振・体重減少→全身衰弱→肝硬変症の進行→死亡という因果流れを主張し、本件傷害からくる全身衰弱がなければ、養生のいかんにより、なお長命を保ち得た可能性がなかったとは言えないと主張するのである。而して本件には因果関係に関する原告主張に有利な証拠として、≪証拠省略≫が存するところ、同人は同病院における本件被害者の主治医(整形外科)の一人であるが、これによると、一般的にみて、骨折が肝硬変症の直接的原因となることはないけれども、肝硬変症に罹患している者に骨折が生じた場合、それが右症状を悪化せしめる可能性があり、本件においても、ギブス固定が本件被害者の体力に傷害を与え、すでに罹患していた肝硬変症による死期を早めたと考えられるとのことである。この種の証拠資料は、因果関係の存在につき、仮に医学的にみて可能な推論ではあっても、直ちに、ここに採用するに由ないものであることは言うまでもない。結果はその全体としての具体的所与(Ausgestaltung)において問題とされてはならない。これによると、結果に対し微々たる変化を生じさせたにすぎないものも、また結果に対し原因的となり、珍奇な結論を導くのみでなく、原因の範囲の取捨選択が恣意的になる可能性があって、法律論に混乱をもたらし得るものであることは、殊に重畳的因果関係の場合に明白なのである。それゆえ、事件がなんらかの方向において結果に影響を与えたとか、この事件なかりせばその結果は現にそれがあるところとは全く違っていたであろうということでは不十分なのである。法的に原因たるためには、事件は、当該結果が然らざれば生じなかったであろうような死、傷害ないし毀損のような一定の結果範疇において生じたか、あるいは一定不変の結果範疇内において、時・場所・毀損の程度等の法的観点からして重要な変化が加えられた場合でなければならない。それゆえ、肝硬変症が末期的段階にあって、確実に死にむかっている者の左膝関節部に加えられた皮下骨折が同人の肝硬変症による死の原因であるとするためには、まず、同人の死期を早めるについて右の傷害が実際に独立した区別のある条件であったことが証明せらるべく、右の程度の可能性の段階における因果関係の立証では足りないうえ、つぎに、右の傷害によってもたらされた死期の変化が、損害賠償法の視点からして重要な変化であったことが証明せられねばならない。そうすると、成立につき当事者間に争いのない乙三号証(九大助教授平山千里著「肝臓病」増補版抜粋)によって、肝硬変症の予後を支配する因子として重要なのはその病態の進展度であり、それは具体的には、肝臓の障害度や循環障害に左右されることが認められるがゆえに、なお本件被害者につき、例えば、交通事故による衝撃の態様、皮下骨折の具体的内容、入院中の生活態度、ギブス固定の強度・日数・使用した薬物等施用した医療措置その他本件事故が惹起した負因たり得べき事実を確定したうえ、それが、本件事故前の生活内容、吐血時における内科的諸症状、その後の経過等から判断される本件被害者のごとき肝臓の障害度ないし循環障害を、通常、如何に促進したかを確定して、右の因果関係をさらに具体的に立証すべきであったのであり、前掲三つの証拠資料のみで他に原告主張に沿うもののない本件においては、本件事故と本件被害者の死との間の原告主張の因果関係は証明がないと言わざるを得ない。
三 そこで本件事故と因果関係のある損害の範囲につき検討すると、前認定のように、本件被害者は事故当日の一月三〇日から吐血のため内科を受診した二月一四日までの間は本件傷害のための治療を受け、その後は肝硬変症の治療を受けたものである。肝硬変症の治療と並行して本件傷害の治療が行われたこと、肝硬変症の悪化について本件傷害あるいはその治療措置がいかなる影響を与えたかについては、これを確定し得る証拠がない。≪証拠省略≫には、本件傷害は全治二箇月という記載があるけれども、右は警察署長に対する本件被害者作成の交通事故証明願ならびに右署長作成の証明書であって、本件傷害の程度につき措信するに足りない。そうすると、原告主張の各損害については右の二月一四日までの分についてその存否が検討さるべきものとなる。
(一) 治療費ならびに文書料 これらについては証明がない。≪証拠省略≫によると、市立西脇病院が本件被害者に対して昭和四三年一月中に行った診療行為についての診療報酬の額ならびに本件被害者の死亡までの間に発行した診断書その他の文書料は明らかであるが、その内、前者については患者負担額を確定し得ず、後者については本件事故による損害分を確定し得ない。
(二) 看護料 ≪証拠省略≫によると、本件被害者には同病院への入院中妻と椿久恵が付き添って看護に勤め、右椿に対し計六万円の看護料が支払われたこと、同女は本件被害者の情婦であったこと、本件被害者は入院中終始介添えを要したことを認めることができ、右認定を動かすに足る証拠はない。右事実に前認定にかかる本件傷害の程度を考慮すると、右の二月一四日まで一五日分の看護料の支出のうち金一万五、〇〇〇円が本件事故に基づく損害額であると解する。
(三) 休業補償費 ≪証拠省略≫によると、本件被害者は事故当時、右憲三とともに印刷業を自営して、年収四七万七、〇〇〇円を得ていたこと、本件被害者の右事業に対する寄与率は七割であったことを認めることができ、右認定に反する証拠はない。そして本件事故による本件被害者の休業日数が事故当日の一月三〇日から翌二月一四日までの一六日間であることはすでに認定したところである。それ故一万四、六四〇円(円以下四捨五入)が本件事故に基づく本件被害者の休業補償費である。
(四) 慰藉料 前認定のような本件傷害の程度、そのため味わった苦痛(≪証拠省略≫によると本件被害者は入院後一、二週間は本件傷害箇所に痛みを訴え、ギブス固定のため身動きも不自由であったことが認められる)、本件被害者の生活状態その他の事実に徴し、本件事故に基づく慰藉料としては金五万円が相当である。
以上(二)ないし(四)項認定の金額の合計金七万九、六四〇円が本件事故に基づく損害の総額である。
四 ≪証拠省略≫によると、本件原付自転車には自動車損害賠償保障法に基づく責任保険の契約が締結されていなかったこと、そのため本件被害者の相続人である鷲尾トシオ、同修、同憲三、同美恵子らが原告(運輸省自動車局)に対し、本件被害者の受けた損害に関し、同法七二条一項による損害のてん補を請求したため、原告は昭和四三年九月一三日、金三二四万一、七三〇円を右相続人らの代理人訴外住友海上火災保険株式会社に対し支払ったことを認めることができ、右認定に反する証拠はない。
以上の結果、原告は自動車損害賠償保障法七六条一項により、右てん補額を限度として、右相続人らが本件被害者から相続により取得した被告に対する損害賠償請求権を代位取得したことが明らかであり、その額は前認定のとおり金七万九、六四〇円である。
五 よって原告の本訴請求は被告に対し金七万九、六四〇円ならびにこれに対する前記てん補額支払日の翌日たる昭和四三年九月一四日以降支払済みに至るまで民事法定利率たる年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度において正当として認容し、他は失当であるからこれを棄却すべく、訴訟費用の負担につき民訴法九二条、八九条、仮執行の宣言につき同法一九六条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 橋本喜一)